2023年9月、祖母が天国へ旅立ちました。
104歳でした。
祖母は3年8か月ほど前から車いす生活となり、在宅介護を行っていましたが、最後の1か月間は誤嚥性肺炎のため入院となり、病院で息を引き取りました。
祖母は車いす生活となっても、認知機能はしっかりしていて、記憶力もすごく良くて、私の自慢の祖母でした。
祖母は40代の後半に全盲となったため、私の顔は知りません。(見たことがありません。)
しかし、私の知っている祖母は、まるで目が見えているかのようでした。
私は生まれた時から祖母と一緒に暮らしてきました。
私が小さい頃は、祖母と一緒にお風呂に入って頭を洗ってもらっていたし、
お弁当のおにぎりは祖母がにぎってくれていました。
10数年前まで、食器を洗ったり、ガスコンロでお湯をわかしポットに入れていたし、
夕方雨戸を閉めるのも祖母の仕事でした。
祖母は家族に迷惑をかけないようにと、健康にはすごく気を配っていて、竹ふみを毎日数百回行っていました。
竹ふみは車いす生活になった後も手すりにつかまりながら1年間くらいは行っていましたので、きっと40年間以上は続けていたと思います。
また歯についてもとても気を配っていました。
基本的に間食はしない生活を送っていて、車いす生活になってからは朝と晩の2回の歯磨きとなりましたが、それまでは毎食後歯磨きをきちんと行ない、亡くなるまですべて自分の歯でした。そして、虫歯の治療をした歯は数本だけでした。
その上、祖母についてすごすぎると思うことがありました。
一つ目は、祖母の記憶力です。
いつ何があったかということをよく覚えているのです。
例えば、親戚がなくなった日、家を建てた(改装した)日、電気製品を買った日、鉄道が開通したのはいつか、日本でテレビ放送が開始されたのはいつかなど色々なことについて覚えているのです。
また祖母が小学生の時(95年くらい前のことになります)のクラスメイト全員の名前や先生の名前も覚えていて、時々私たち家族にクラスメイトや先生の名前を教えてくれました。
二つめは、○○年の〇月〇日は何曜日?と祖母に聞くと、〇曜日と正当な曜日を答えるのです。
それは直近の日だけでなく、過去、未来かなり先の日にちについても同様です。
祖母の頭の中はどうなっているのだろう~とずっと不思議でした。
目が不自由になった方が、ほかの聴覚や嗅覚などの感覚が研ぎ澄まされるという話は聞いたことがありますが、
それにしても祖母はすごかったです。
祖母が両方の視力を失ったのが40代後半ですが、それまで普通に仕事していたそうです。
ある不幸なことにより40代後半で視力を失うことになりました。
私は生まれた時から祖母と暮らしてきて(成人してから家を出て別に暮らしていた時期もありますが)、祖母は日常生活の色々なことを淡々と行っていて、一緒にいて目が不自由だと感じたことはほとんどなかったので、子供のころは祖母は本当は目が見えているのではないかな?と不思議に思ったことも度々ありました。
実際は、40代で目が見えなくなって、たくさんの苦労をし、苦労という言葉だけでは語ることができませんが、たくさんの複雑な想いを抱えて、生きてきたのだと思います。
でも祖母は、周りにそのようなことを感じさせることは決してありませでした。
祖母には二人の娘(ひとりが私の母)がいますが、母たちが小さいときに旦那さん(母の父)は戦死しました。
その後祖母は、幼子2人と旦那さんのお母さん(お姑さん)との4人の生活を守るために一生懸命に働いたそうです。
祖母の人生を想うと、胸が熱くなります。
祖母が天国に旅立ち、先日49日の法要、納骨も無事に終わりました。
最後まで、自分のことより周りの人のことを心配してくれる優しくて凛とした自慢の祖母でした。
これまで本当にありがとう。これからの見守っていてね。